ベイビュー・アセット・マネジメント

三須 博志

企業の収益の質に着目した
日本株式ボトムアップ戦略、『Bayview日本株ロングショート』確固たる信念と、柔軟な決断:三須 博志

三須博志と株式投資の出会いは、大学時代に遡ります。在学中の1987年に留学した米国で、ブラックマンデーに遭遇します。「コンピューターのプログラム取引が急落の原因」と訳知り顔で話す講師や周囲の大人達を見聞きし、まだ株式の知識も経験もない学生でしたが、「相場」の持つ底知れぬ魅力を感じました。卒業後は山一證券に入社し、本店営業で3年間個人・法人営業に携わった後にシンガポール法人へ出向、アジア株式トレーダーとして成長著しいエネルギーとダイナミズムに満ち溢れた現地市場に身を委ねながら、「自分は株が好きなんだ」と確信します。

帰国後は、国内機関投資家向けに日本株式トレーダーとして個別銘柄の売買を日々執行する中で、何十人ものファンド・マネージャー達の銘柄選択や投資判断に絡む職人技を目の当たりにし、「いつかは自分もバイサイドに行く」という想いが日増しに強まります。そして奇しくも山一證券が自主廃業に至り、当時担当先の一つであった太陽生命に入社した三須は、念願のファンド・マネージャーへの道を歩み始めます。先ずは日本株式アナリストとして保険資産の運用に携わった後、1999年から、本人にとって大きな転機となる米国株式ロング・ショート運用を行うヘッジ・ファンド会社へ3年間出向することになります。

出向先のサンフランシスコでは、たった一人の日本人として孤軍奮闘しつつも、米国テクノロジー株式アナリストとしてシリコンバレーのハイテク企業へ足繁く通える貴重な経験を得ました。そして、本格的なボトムアップ型投資手法と共に、まさにITバブルが形成され崩壊していく渦中において、当時の先端を行く株式ロング・ショート運用に携わる絶好の機会に恵まれたのです。燻し銀の米国職人ファンド・マネージャーから叩き込まれた「企業に惚れるな、企業の成長率の加速に惚れて鈍化を嫌え」という金言は、その後の三須の運用の根幹を成すことになりました。

帰国後、T&Dアセットマネジメントで本格的にファンド・マネージャーとして日本株式の運用を開始します。以来12年間に亘り、ボトムアップ・アプローチによる個別銘柄選択を超過収益の源泉と捉えた運用で、着実にリターンを積み重ねます。三須は、保険会社や年金基金、或いは投資信託の向こう側には、必ず加入者や従業員、或いは個人投資家の方々がいることを常に意識して運用に従事し、「お客様の大切な資金をお預かりするうえで重要なのは、ファンド・マネージャーのブレない信念とフレキシブルな決断である」をモットーとします。そして、大手運用会社特有のチーム運用体制ではアピールすることが容易でない、責任者を明確にした「顔の見える運用」を実践したいという長年の想いを実現させる機会を望んでいました。2014年7月、シンガポールで株式の世界にプロとして足を踏み入れてから20年、自らの集大成となる舞台として、サンフランシスコ出向時代から長年の交流があるベイビュー・アセット・マネジメントへの参画を決意することになりました。

【プロフィール】
1991年 山一證券(株)入社後、本店営業部、山一セキュリティーズ(シンガポール)、金融法人資金運用部、エクイティ・トレーディング第一部等で証券営業及び株式トレーディング業務に携わる。1998年太陽生命保険相互会社(現太陽生命保険(株))入社、特別勘定運用におけるテクノロジー、素材、及び公益セクターの企業分析業務に従事。1999年ロバートソン・スティーブンス・インベストメント・マネジメント社(現RSインベストメンツ社)からMBOしたエライジャー・アセット・マネジメント(当時)に出向し、主に米国テクノロジー企業のアナリストを経験後、2003年からはT&D太陽大同投資顧問株式会社(現T&Dアセットマネジメント(株))運用部門のファンド・マネージャーとして、保険資産、年金基金、及び投資信託の日本株式を主要対象としたグロース型投資の運用業務に従事。2014年7月ベイビュー・アセット・マネジメント(株)入社、現在に至る。1991年 立教大学文学部卒。公益社団法人 日本証券アナリスト協会検定会員(CMA)。
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